
今から8年前27歳の時、母の病気がきっかけでそれまで働いていた飲食業の仕事を辞め、父の実家の大分県臼杵市野津町に移住することとなりました。私自身は父の仕事の為福岡で幼少期から大人まで過ごしており、Iターンという形になると思います。
当時同居していた祖母の病院の送迎などをする必要があり、転勤がなく通勤時間が短い仕事を探す中、農業に興味を持ちました。
何も知らない状態でしたので、市役所の農林振興課に相談したところ、当時就農5年目の近隣の大分市から移住したピーマン農家の夫婦の方に農業体験させていただくことになりました。農家は地元の人が代々やっているイメージでしたが、その方は都会からきて0から始め地域に根ざし家族で幸せに生活している姿をみて、当時独身の私もこのように家族をもって地域に根ざした産業で頑張りたいと考え、就農を決意しました。
就農にむかう為、その農家のすすめで県立農業大学校の11ヶ月の長期研修を受ける事としました。幸運だったのは、職業訓練扱いとして失業保険を貰いながら通うことが出来たことです。当時実家暮らしで固定費が低く、ここで就農準備の資金も貯める事が出来ました。研修では様々な野菜の栽培を座学と実践で学ぶことが出来、右も左も分からなかった私にはすごく適していました。同時に土日や放課後の時間は先程の研修農家のところに通い、作業を手伝いながらピーマン栽培のことを現場で学んで日々を過ごしました。
その頃から、就農作物を研修農家と同じ夏秋ピーマンと決めていました。地域には、葉たばこ、ニラ、メロン、甘藷、イチゴ等の選択肢がありましたが、ピーマンに決めた理由は、①少ない面積で高収益が期待できる(作付10a≒1000㎡で売上げ500万円~600万円可能)②初期投資が少ない(雨よけ簡易ハウスなので10aで当時150万程度)③農協の部会が大きいので販路に困らない④地域に栽培している農家が多くいるので活きた情報を得られやすい。この4つの理由から成功する可能性が高いと考えたからです。
就農1年目
運良く研修農家の方に隣の圃場を紹介して貰い、2016年1年目の栽培をスタートしました。研修と違い全ての作業を一人で行うのは大変でしたが、先輩農家の圃場をストーカーのように回り、見様見真似で行いました。今思えば、すべてが後手に回り作業も手際が悪く先輩農家が帰った後も真夜中まで作業をして周りの農家を追いかけました。新地で生育が順調だったことと高単価のお陰で1年目から目標の売上げを500万円達成できました。単身での生活費はピーマンの売上げで確保し、農業次世代人材投資資金という補助金(当時経営開始型就農5年目まで年間150万円支給)は、今後結婚して家族を養える経営体に成長出来るよう全て再投資資金に回しました。
その後
2年目、冬の収益確保の為白ネギ栽培にも挑戦、連作障害が出て2年以降以降収量が落ちるといわれるピーマンもなんとか収量を維持でき単価が安い中でも大崩れなく収益を上げられました。
3年目、農大研修時代の知り合いの紹介で、今の妻と結婚夫婦経営にシフト。
4年目、ピーマンの病害虫原因の病気が地域で大流行、規模拡大の為の資金を病害虫対策につぎ込みなんとなか凌ぎ切る。
5年目ピーマン12a白ネギ20a 妻妊娠を機に雇用を始め規模拡大、長男誕生
売上げ1000万円到達
6年目ピーマン12a白ネギ30a 周年雇用をするために白ネギ規模拡大
7年目ピーマン15a白ネギ40a ピーマンは作業性を考え1.8m間口から3mハウスに改造、コロナ禍も在り価格大暴落も白ネギ拡大分でカバー
8年目ピーマン15a白ネギ40a コロナも明けピーマン高単価もピーマン収量悪く白ネギとの複合経営で作業の質がおろそかになっている事を反省。
このように就農後も毎年様々な問題がありますが少しずつ前に進んでいます。
今年からしばらく規模拡大はせずに今の面積での作業の質を上げていき売上げ1500万円をまずは達成。
その後規模拡大を適時行い10年後に売上げ3000万円を目標にしています。
新規就農を考えている方へ
私自身最初の出会いが自分とスタート地点の近いメンター(助言者)で運が良かったと思います。是非このアグレッシュおおいたの他の諸先輩の体験談や他のところでも自分と似た境遇でスタートして成功している農家を探し、その後追いが成功する可能性が高いと個人的には思います。
最後に
右も左も分からない私を農業者として迎え入れてくれた地域の皆様、いつも私の仕事に信じて付いてきてくれる家族に感謝致します。今後も地域への貢献と自身と家族の物心両面の幸福を追求する為努力して参ります。